起業物語〜私らしい書道教室の開き方〜

第4回 読売書法展初入選 書道師範になる

24歳:読売書法展初入選 書道師範になる

2012-08-31 09:42:44

その後、順調に?とまではいきませんでしたが、
日々お稽古に通い、昇段試験をクリアしていきました。

昇段試験は年に2回。

段に応じて、書く書体が増え、紙のサイズも大きくなっていくのですが、
最終的に、師範の試験は、楷書・行書・草書・隷書・かなの
五体の作品を創作し、提出します。

課題が五体全て受かると、古典のレポートがあり、
レポートが通ると、晴れて師範となり、お免状をいただくことができます。

これがなかなか大変で、試験を控えるとハードな毎日が待っていました。

私は、短大を卒業後、父の印刷会社を手伝いながら、
某不動産会社で営業をしたり、
営業事務をこなしたりしていました。

もちろんお年頃?ですから、友だちと遊びにも行きたいし、デートもしたい。

そんななかの試験ですから、
書く時間は、自分で工夫して、優先順位を決め、
捻出するしかありませんでした。

まず朝は5時半に起き、出社前に作品を書く。

朝起きるのはつらかったですが、
さいわい毎朝5時起きの祖母がいたので、
常に気合をいれてもらいました。

そして、作品を書いて出社。

たいてい定時には終わりませんでしたが、なるべく早く切り上げ、
お稽古に通ったり、時には気分転換も兼ねて出かけました。

土曜日は、午後からお稽古に行き、先生に添削をしていただいたら、
すぐに家に戻り、復習と練習をしました。

その後は、割り切って友だちと遊んだり、デートに出かけました。

日曜日は、完全にオフ・・・にしたいところでしたが、
試験があったときは、遊びより練習を優先させました。

「なんでそんなに頑張るの?」と、
当時、彼に聞かれたこともありましたが(笑)

とにかく頑張るしかなかったのです。

同期のなかで、私はそんなに腕が良いほうでもなく、
ましてや才能があったわけでもなかったので、

なんとか落ちこぼれないように、
みんなが試験に受かったときに、自分だけが落ちないようにと、
必死に努力だけは続けました。

人が100枚書くなら、私はその倍。

いや、もっと書かないと、きっとみんなに追いつけない。。。

そう思って、必死に書くだけは書こうと決め、
選択と集中の毎日でした。

書けばいいってもんではないけど、まぁ書かないよりはいいわね。」

先生にそう言われながらも、熱心にご指導をいただき、
2000年、25歳になる前に、無事、書道師範になることができました。

その年は、読売展にも初入選することができ、
まさに蒔いてきた種が実を結んだ年となりました。

続く・・・